府中の「白糸台掩体壕」で被爆二世アオギリを植樹 平和都市宣言30周年で

内部は砂利や木材などがむき出しで、粗悪な資材で作られたことがわかる。耐震などの理由により、普段は内部を公開していない。

内部は砂利や木材などがむき出しで、粗悪な資材で作られたことがわかる。耐震などの理由により、普段は内部を公開していない。

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 府中市の史跡「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕(しらいとだいえんたいごう)」(府中市白糸台2)で11月3日、内部の特別公開と広島から寄贈された「被爆樹木の二世アオギリ」の植樹が行われた。

白糸台掩体壕を上から見ると戦闘機「飛燕」とほぼ同じ規格であることがわかる。地面は現在より約2メートル低く、調査により排水施設や誘導路、タイヤの痕跡などが発見された。

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 旧陸軍調布飛行場は1941(昭和16)年に官民共同の飛行場として設置され、同年8月に陸軍専用になった。1945(昭和20)年に三式戦闘機「飛燕(ひえん)」が配備され、知覧基地(鹿児島県)へ行く特攻隊の訓練も行われた。

 掩体壕は太平洋戦争末期に激化した空襲から戦闘機を守り隠した格納庫で、全国の軍用飛行場周辺に造られた。同飛行場周辺では1944(昭和19)年から造られ、コンクリート製の屋根のある「有蓋(ゆうがい)掩体壕」が約30基、木や草の覆いを掛けただけの「無蓋(むがい)掩体壕」が単独と連結合わせて約100基あった(明治大学校地内遺跡調査団・櫻井隆氏の資料より)。戦後ほとんどの掩体壕は取り壊されたが、都立武蔵野の森公園(三鷹市大沢6)に2基(大沢1号掩体壕・大沢2号掩体壕)、府中市内に2基(白糸台掩体壕・個人所有)の有蓋掩体壕が残っている。

 「白糸台掩体壕」は旧所有者が長年にわたり補修を行っていたため良好な状態を保ち、「調布飛行場の掩体壕を保存する会」などが歴史遺産として残す活動を続けた。2006年同市は平和都市宣言20周年を機に保存・公有地化を決定し、調査を実地。2008年史跡として指定文化財に登録すると修理工事を行い、2012年保存整備を完工、一般公開を始めた。普段は外部のみ見学可能だが、毎年11月3日に内部を公開している。初めて内部見学した親子は「物資不足の中大急ぎで造ったと学習した通り、内壁に粗い砂利や木材がたくさん見えて当時の様子が伝わってきた」と感想を述べた。

 平和都市宣言30周年を迎えた今年、「平和首長会議」会長の広島市から贈られた被爆樹木の二世アオギリ(親木の種から発芽した苗木)を植樹した。親木は爆心地から1300メートルの距離にあった旧広島逓信局の中庭で被爆し、幹の半分が焼けたが芽を吹き返して広島の人々に生きる勇気と希望を与えた。核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え1973(昭和48)年、平和記念公園に移植され成長を続けている。

 近所の高齢者専用グループホームから植樹式の見学に来た女性は「いつも散歩でここへ来るので、アオギリの成長が楽しみ。自分は戦争を生き抜いた。この被爆樹木によって平和への関心が高まるといい」と話した。同保存会のメンバーは「これまで地道に研究や活動を続けてきた。整備され史跡になり多くの人が見学できるようになり、今回の植樹でまた一歩進んだと感じる」と振り返った。

 白糸台掩体壕の問い合わせは、府中市文化スポーツ部ふるさと文化財課(TEL 042-335-4376)。大沢1号掩体壕・大沢2号掩体壕の問い合わせは、武蔵野の森公園サービスセンター(TEL 042-365-8435)。いずれも入場無料・年中無休。

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