調布市出身の映画イラストレーター・宮崎祐治さんの個展「調布映画地図展」が同市文化会館たづくりで開催されているのに合わせ、都立三鷹高校の同級生で「ガメラ 大怪獣空中決戦」などを手掛けた金子修介監督とのトークショーが2月13日、同会館で行われた。
約80人の聴衆を前に登壇した宮崎さんは調布市生まれで、CMディレクターとして活躍する一方、映画雑誌「キネマ旬報」などで映画のイラストを描いてきた。金子監督は1978(昭和53)年に日活入所。「1999年の夏休み」「就職戦線異状なし」「平成ガメラ3部作」「デスノート」などを手掛けている。2人は高校時代に隣のクラスに在籍、1年生のときに学校新聞の編集部員だった。当時のガリ版刷りの新聞を壇上のスクリーンに投影しながら、サッカー部員だった宮崎さんの印象について、金子監督は「かっこいい奴というイメージだった」、金子監督の映画評が「キネマ旬報」に載っているのを見つけた宮崎さんは「生徒会長の金子が出ていてうらやましかった」などと当時の思い出話に花を咲かせた。1年生の文化祭の時に金子監督が撮った8ミリ映画「斜面」の脚本や絵コンテなども披露。宮崎さんは「クラスが結束していてうらやましかった」と当時を振り返った。さらに金子監督は「『仁義なき戦い』を映画館で見て衝撃を受けた。深作欣二監督を尊敬している」、宮崎さんは「『ウエスト・サイド物語』のリバイバルを映画館に駆け付けて朝から晩まで見た。『こんなに映画は面白いんだ』と思った」と高校生の時に見た映画が人生に影響を与えていることを明かした。
その後、宮崎さんは武蔵野美術大学、金子監督は東京学芸大学に進学。学生時代以降も親交は続き、宮崎さんは金子監督の自主映画「プリズムタワー」のタイトルを描いたり、1987(昭和62)年に宮崎さんが監督を務めた映画「そうなのかもしれない」の上映会で金子監督の「貝の季節」を同時上映したりしたことを述懐。金子監督は長年、自転車を愛用していたことに触れ、「渋谷区初台生まれで小学5年の時に三鷹市に引っ越した。小学6年の1年だけバスと電車で初台に通っていた以外はずっと自転車。三鷹(の自宅)から三鷹高校、大学も小金井まで自転車、調布の日活撮影所まで深大寺の坂を上り下りしていた」と話すと、宮崎さんは「あの厳しい坂を自転車で通っているビジュアルが金子らしい」と笑った。
互いに漫画の影響があったことを明かし、調布市内に住んでいた漫画家・水木しげるさんの思い出で、宮崎さんは「通っていた小学校の裏に水木さんの家があった。奥さんが子どもたちにすごく親切で、小学5年生のときに水木さんの趣味の船のミニチュアを見せてもらった」、金子監督も「亡くなった母が武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)で水木さんと同級生だったらしい」と明かし、会場を沸かせた。
聴衆から寄せられた質問で、イラストのデフォルメについて尋ねられた宮崎さんは「映画を見たら感想文を書くのではなく絵で表現したかった。ちょっと自分の味を出したくて、とりあえず似せることが大事」と話した。「平成ガメラ3部作」の続編の可能性について聞かれた金子監督が「ガメラの権利を持っているKADOKAWAに企画を出している」と話すと、宮崎さんが「まだまだできそうなので期待している」とエールを送る場面もあった。
宮崎さんの個展「調布映画地図展」は3月27日まで(2月19日~22日は休館)、調布市文化会館たづくり1階展示室で開催している。