明治時代から日本酒を製造する野口酒造店(府中市寿町2)が新しい酒造場を整え、4月10日、酒造場で洗米を始め、府中での酒造りを38年ぶりに復活させた。
「この新しいタンクで、伝統と革新が融合した地酒を目指す」野口英一郎社長
1860年創業の同社は、江戸末期から「中屋」として酒や煮物を販売していた。大國魂神社の神人(じにん)だった2代目・久兵衛(きゅうべい)がお神酒造りを依頼されたことから、1869(明治2)年に現在の「中久本店(なかきゅうほんてん)」(宮西町4)で日本酒造りを開始。1923(大正12)年に製造所(寿町2)を新築し、昭和の終わりまで府中で「國府鶴(こうづる)」を造り続けた。先代のとき都市化による環境悪化でやむなく、縁戚関係の他社蔵に酒質設計を伝えて委託醸造した原酒を府中で加水調整して瓶詰めするスタイルになった。
7代目蔵元の野口英一郎社長が自醸酒復活を願い探っていると、醸造技術・設備の進化や酒造要件の許容範囲拡大など都市でも酒造りが可能になる道が開けてきた。昨秋から製造所を新酒蔵にリノベーションし、同所に新たな井戸を掘り、酒造経験のある木下大輔杜氏(とうじ)を招き、府中での酒造り復活に道筋を付けた。
先立つこと2020年、東京農工大学大学院農学研究院(幸町3)の大川泰一郎教授から、自ら開発した米「さくら福姫」を酒造用に紹介された。2022年に両者が基本協定を結び、「武蔵日本酒テロワールプロジェクト」を推進することになった。テロワールとは「土壌や気候などその土地ならではのもの」を意味するフランス語で、ワイン同様に日本酒も当地の米と水で造る。
両者は、かつての武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県川崎市と横浜市)の農家にさくら福姫の生産を呼びかけた。今年は同大と埼玉で取れた米などを使い、来年は市内の農家4軒も加わる。酵母は東京農業大学醸造科(世田谷区)と共同研究し、市内の梅花から清酒酵母の純粋分離を試みる。さらに、青山学院大学経済学部(渋谷区)と酒かすの有効利用や商品開発に取り組み、地域の商業活性化や観光振興も目指す。多くの大学と産学連携を図り、持続可能な酒造りを多角的に模索する。
野口社長は「縁あってさまざまな人の協力を得ることができた。その力を結集して付加価値の高い日本酒を造りたい。『オール武蔵国』のうまい地酒が完成すれば、きっと日本中から愛酒家がやってくるはず」と期待を込める。
来月、大國魂神社に供えるお神酒が完成する見込み。6月末まで試験的な酒造りを繰り返し、新しい設備と井戸水と米の特徴を見極めた酒質設計をする。日本酒醸造に向かない夏季は造りを休み修正と再調整を行い、9月から本格的な新「國府鶴」を仕込んで売り出す予定。さらに、新ブランドの生酒も計画している。
「火入れをしない新鮮な生きた酒を府中に来て飲んでいただきたい。落ち着いたら酒蔵見学も受け入れ、将来は規模を広げて『開かれた酒造り、米作り』の場を構築したい」と話す。「先代は『古壷新酒(ここしんしゅ=古いつぼに新しい酒を盛る、真の伝統は革新を伴う)』を座右の銘にしていた。私は継往開来(けいおうかいらい=先人の業を受け継ぎ未来を切り開く)を実践したい」とも。