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傷跡残る調布・多摩川 手つかずの河川敷そばでアユの産卵始まる

倒れたままの「モトクロス禁止」看板、多摩川原橋付近

倒れたままの「モトクロス禁止」看板、多摩川原橋付近

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 台風19号の爪痕が残る多摩川「二ヶ領上河原堰(にかりょうかみがわらぜき)」(調布市染地2)付近の流域で、アユの産卵が始まっている。

川底の石に産み付けられたアユの卵

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 10月に日本を直撃した台風19号は、「100年に一度」の豪雨をもたらし、全国各地で河川の氾濫が相次いだ。多摩川は、世田谷や川崎市で氾濫し、調布市内でも浸水被害が出た。市民にとってスポーツや憩いの場だった多摩川河川敷には、えぐられた土手、激流に削られた歩道、ゆがんだパイプ、浮き上がったベンチ、なぎ倒された看板など、今なお爪痕が残る。

 古来、日本人は河川を「八岐大蛇(やまたのおろち)」と名付けたように、多摩川も昔から「あばれ川」だった。氾濫による土砂の流下と堆積が多いため、度々流路を変えた多摩川流域には、「押立」「布田」「等々力」など、左右両岸に同じ地名が多い。江戸期には、現在の流路に近くなったとされ、「二ヶ領取水堰」を挟んで川崎側の「布田」という地名が、元は一つだった集落を多摩川が分断したことを示している。

 1974(昭和49)年の狛江水害を知る「おさかなポスト」代表・山崎充哲さんは「河川は生き物のように動いている。八千草薫さんのドラマ『岸辺のアルバム』で有名になった狛江水害以上に、19号による増水は水位が高かった」と振り返る。「東京も神奈川も人口密度が高く、インフラが集中している。土手より低地に住む人も多い。歴史に学び、多摩川に関心を抱くことが大切。日頃から水害に備えてほしい」と話す。

 一方、山崎さんによると増水した多摩川で、アユは岸に寄りながら流れの緩い場所にとどまっていたという。支流やへこみに入って激流をやり過ごしたアユもいた。「台風による増水は、産卵を控えたアユにとっては好都合だった。石が洗われて転がったことや、小砂利が流れついたため、フカフカの産卵場が増えたのでは」と話す。「濁った川に、酸素や栄養が多いことも、母アユにとっては良いこと。ただ、水が濁った状態が続くと、卵がふ化できるかどうか」と心配もする。

 「産卵は例年年明けまで続くが、今年は水温が低いため12月中旬ごろに終わるかもしれない。上流の奥多摩湖の水はまだ濁っている。荒れた川が元に戻るのに、半年はかかる。卵から無事にふ化した稚魚が東京湾で冬を過ごし、春にまた遡上(そじょう)して多摩川に戻ってくる頃になるのでは」とも。

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